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利用者のコラム

男性 / 50代 / パソコン業務


網膜色素変性症とは?

私は現在、50代。白杖(はくじょう)をつきながら仕事へ通っています。 私の病気、「網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)」を発症する原因については様々な説がありますが、 公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センターによると 遺伝子の変異等が考えられています。 この病気は、暗い場所が見えにくい「夜盲(やもう)」、見える範囲が狭まる「視野狭窄(しやきょうさく)」、徐々に視力が低下する「視力低下」、この3つの症状が特徴的と感じます。

私が網膜色素変性症だと告げられたのは30代半ばを過ぎたころでした。それまでは、自分の目が他の人と比べて特別に違うといった感覚はあまり無く、少し暗い場所が苦手という位で自動車やオートバイの運転も普通に行っておりました。 病名を告げられても私って本当にそんな病気なんだろうか?などと考えたりするほどでした。 家族にも病気の事を告げられずにいました。

病気を抱えて

病名を告げられて何年か経った頃、仕事をする上で色々と不自由を感じることが多くなってきました。 大きめの台車に載せた多量の荷物を運ぶ際は、端々が見えず、行き交う人や車、建物や商品へぶつけないかとひやひやしたり、 倉庫での作業は照明が暗いせいか同僚より時間が掛かり叱責され、時には怒鳴られることもありました。 そういった日々の繰り返しは、徐々に私の神経をすり減らしていきました。

白杖をもつことを決めたのは、職場での風当たりを少しでも和らげたいとの考えからでした。 この時、病名を告げられてからおよそ10年以上が経過していました。 白杖と障がい者手帳を会社へ見せたことで、こちらの病気に対しての理解度がほんの少し増したように感じはしたものの、仕事中に杖を携行させてはもらえず、「ゆっくりでいいから自分の目で見て歩け。」といったことになってしまいました。 仕事の成果は上がらず、病状はジワジワと進み、まるで誰にも省みられていないかのような暗い気持ちでいる日々が重なっていったのでした。 ある日、とうとう仕事を続けていく自信がなくなり、家族に退職する旨を告げました。

病気と向き合い受け入れる

退職してからは区役所の福祉課やハローワークに通い、再就職に繋がる職業訓練や視覚障がい者として働ける求人情報を検索しました。 視覚障がい者のリハビリテーション施設へ通い始めたのもこの頃でした。そこで出会った沢山の方々の、障がいを受け入れ前向きな姿勢を目の当たりにし、私自身のネガティブな考えを改めるきっかけとなりました。 施設へは1年近く通い、勉強やレクリエーションに参加しました。正しいとされる白杖の扱い方も教えてもらうことができました。 人一人がまっすぐ進んでいくために、大勢の方々の陰からの支えが有るということを改めて実感した日々でした。

その後幾度かの面接を経て現在の職場へと就職が決まり、働けることの喜びに晴れ晴れとした思いでいたあの日のことを、今もまざまざと思い起こせます。 居場所がある、自分が他人から認められ必要とされている。それがどんなに素晴らしく貴重なことであるのか…… 少しばかりはそれを知っていると言える、そんな今の私であったりします。

白杖

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